2019/07/14

"見えているものが違う"という現象 - 『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』(安達裕哉,2019)書評

なぜネットが荒れるのか?

なぜなら、同じものを見た時に、「見えているもの」がそれぞれに違うから。

出発点である現実が(主観的に)違うわけだ。
そのズレを放置したまま、「正しいと思ったこと」をそれぞれが言い合う。
これでは、お互いがバカに見えて当然。
こうして、見えているものの違い=認知の歪みが、人間関係まで歪ませる。

それはリアル社会でも同じ。ネットでは引っ込めば済むけど、リアル社会は身体を伴う世界、逃げ場所が限られる。その心的ストレスは時に身体的ストレス=鬱病=脳の外傷に近いもの=にまで至る。

こんな状況を独自の視点で描くのが、人気ウェブメディアBooks&Apps主催、安達裕哉さん2019年2月の著書: 『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』
なぜそうなるのか? そんな時どうすればいいのか? をビジネス人の目線で説明している。

「認知的不協和」が世界を歪ませる

認知のズレはいろいろな理由で起きるけど、「1つの頭の中で、2つの情報が一致していなくて、気持ち悪い」というケースが多い。その人間心理をシンプルに理解するために、「認知的不協和」という心理学の概念は良いメガネとなるだろう。

定義は、"人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感"  (wiki)。たとえば、
A) 私は、◯◯が好き
B) ◯◯にはデメリットがある
という状況を考える。
ABは客観的には矛盾しないが、本人の頭の中では不協和だ。

ここで合理的な態度とは、「デメリットを理解しながら好きでいつづける」「嫌いになること。しかし人間心理にはバイアスがかかり、
"そのデメリットは嘘"
"提唱してるのは悪人"
などと世界を認識し直すことで、頭の中の不安を解消しようとしがちだ。

一般化すると、❝私は◯◯が好きという主観的な「認知」を優先させ、客観的な「事実」サイドを変える❞ という圧がかかる。それが認知的不協和。

Photo by Vincent van Zalinge on Unsplash
上記Wikiに載っている喫煙者の不協和はわかりやすい。
  • 私はタバコ好き
  • タバコで肺ガンになる
という不協和な2つの情報に戸惑った喫煙者が、
  • タバコ吸っても長生きする人もいる
  • 交通事故の方がもっと危険
  • ストレス抱えた不健康な人がタバコに手を出しているだけ、どうせ病気になる
  • むしろストレス緩和できている
  • 誰かの陰謀だ
などなど情報を追加することで気を紛らわせ、「タバコはそれほど悪いものじゃない」とタバコ好きな自分を守ろうとする。
これによって肺ガン増加という「事実」がなくなるわけではないけど、タバコは体に悪いという「認知」のレベルでの不安なら薄めることができる。

合理的な態度とは、「タバコは体に悪い、でも心にはウマい」と、事実は事実として受け止めること。そこから「1日◯本に制限する」とか、「体より心、どうなるかわからない将来よりも確実にここにある今」など弁証法的に思考を発展させることもできるだろう。

でもそれは「私は合理的な人間だから、そもそも体に悪いことなどしない」というアイデンティティを持つ人には、難しい。

被災地のデマ

大震災の時など、いろんなデマや陰謀が飛び交ったものだ。おそらく今となっては言いふらしていた人も忘れているようなトンデモなものが。

その心理的仕組みは、被災者ではないけど報道で知った、というレベルの人には「ぼんやりとした大きな不安」が生まれ、その解消のために「もっと強烈な不安」の存在が役に立つからだ。

本来は自分自身で解決するべき不安を、(存在しない架空の)悪人のせいにすることで、「悪いのは全部アイツだ」と責任転嫁しているわけだ。
陰謀論のたぐいも多くはこれだろう。

なお「・・的」という学術用語は「・・についての」と読み替えるとわかりやすく、ここでは「認知についての不協和」と読み替え可能だ。「事実について」は何の矛盾もないわけだから。

人には「分かりたくない時」がある

安達裕哉さんの文章がおもしろいのは、そこから。
なぜそうなるのか? という洞察、
現実にどう対応すればいいのか?というビジネスへの応用だ。

洞察とは、
  • 人は、信念や直感に反することは、理解したくないので
  • 自分の信念を肯定する証拠を、意図的に探したり
  • 情報をシャットアウトして、信念を守ろうとすると
ということ。

これらは人間の(or 社会的動物としての)本能に由来するものであるから、つまりは、人は誰でも(どんなに頭の良い人でも)バカになる、ということだ。

鋭い。

実際、著名な企業経営者などにも起きている事態なわけで、かつてのGM社の名経営者アルフレッド・スローン氏も、この事態を真剣に恐れていたエピソードが紹介されている。

こんな「バカの壁ブロック」を突破するのが、仲間、というポジション。人は(もっといえばあらゆる動物は)他人は信用しなくとも、仲間なら信用するものだから。
そこから、人望の本質とは仲間意識を得る能力、という洞察も導かれる。鋭い。

どうすればいいのか?

不都合な真実ほど、理解しておくべきだ。
人の心理が、それを正面から受け止めることができない、ということまで含めて。

人間関係では、相手の話から、「この人には何が見えているのか?」を推測する知的能力が必要。

相手も相手なりに合理的に考え行動しているのだから、相手を尊重する態度も必須。

そして自分自身のコンフォートゾーンを意識して、そこから外れたものにアンテナを意図して向けることが、自分への態度として大事だと思う。

コンフォートゾーン外=やる気が出ない=単純にまだ始めていない=だから脳の側坐核が活性化していないということ。まず行動することだ。

"他者を攻撃することで有能さを示そうとする人"

この本は、認知の歪みについて、それがもたらす人間関係の歪みについて、いろいろな視点から書かれている。
Amazonレビューでおもしろいのは、「全く本題の答えになっていない」という低評価コメントが、最も多くの参考になった票を集めていることだ。

現実のビジネスの場面では、そんなこと言ってたら仕事にならないし、然るべき人からは「他者を攻撃することで有能さを示そうとする人」というレッテルを貼られる末路が待っているだろう。

ただ、理系の学者とか、ロジックだけで回っている世界では、そんな視点こそ重要な場面もあることだろう。レビューも結果だけ見るのは無意味で、「なぜこの人はこの評価をつけたのか?」という裏側まで想像してみると発見がでてくる。




情報発信者にとっての応用

この認知的不協和とは、以前のブログ
ネット発信論3. ブレーキ要素を「認知的不協和」理論で解剖する(2019/04/27)
でも書いた通り、いろいろ応用できて便利な概念だ。

たとえばネット発信していて、暗闇から石が飛んでくる的な状況がストレスになってる方にとって、暗闇のLEDライトのごとく状況可視化するための道具になるだろう。石を投げた人間は実は不安に怯え恐怖からパニクっているだけだとわかるのと、正体不明なままなとは、心理的負担が違うと思うから。


<ついでに紹介>
王者不在の混戦でおもしろくなってきたツール・ド・フランス2019、
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14日間なので、今からシャンゼリゼ広場のゴールまで見届けられそう。
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