SNSは、単に友達どうしで使うのなら、カギでもかけて自由に使えばいい。
なんだけど、なにかの目的のために発信していく戦略的に使い方もできる。ここから書くのはこの戦略系発信のための、基本的な心構え、そして防御技術についてだ。
戦略的発信について、世間でよくあるイメージでは
❝フォロワー数を増やすことが目的、多ければ「インフルエンサー」になれて、何か良いことが起きる❞というものかな。はーちゅー的なやつね。
でもそれ、浅いと思う。
目立つ存在だけを、しかも表面だけを見ていないかな?
このゴールイメージを間違えて設定してしまうと、「あんなの無理」て遠ざけたり、動けなくなってしまう。
でも中には明らかに良質な素材を持っていて、かつ、それを活かしたい気持ちもある(←ここ大事)人も多いはず。もったいない。
動けないのは、ハードルを自分で勝手に上げすぎているせい、かもしれない。
SNS発信の真実
そもそもネット発信とはなにか?
基本は、暗闇をタイマツを灯して進むような行為だ。暗闇の向こうで全世界(日本語圏に限るけど)の誰がどう見てるか、わからない。
と書くと恐ろしいけど、誰が見てるかわからない=誰もが読者になってくれる可能性があるということ、世界が拡がるということ。
しかもこのチャンスは、誰にとっても平等に、かつ無制限に、開かれている。
そしてこの暗闇的緊張感を、プラスのモチベーションとして活かすこともできる。鬼コーチに見られながら書いてるようなものだから。鬼だけど、指導力もあるコーチにね。
そんな可能性と緊張感とによって、思考と表現についてのトレーニング効果が高い。それがネット発信の本当の意味。
SNSはその手軽な第一歩だ。しかも、親しい相手から順に届くから、好意的な反応を、より速く得ることができる。だからモチベーション向上効果も高い。
その結果、
思考と表現が磨かれる ⇔ 読まれる
というスパイラルな進化が起きるのだ。
(というか、そうなるように、SNSを使うのだ)
SNSを "一方通行メディア" として使うということ
では、気軽に、安全に、かつ効果を出しながら、発信するにはどうすればいいのか?僕の考える基本メソッドは
- SNSを「友達の延長」として扱わない
- かわりに、一方通告のメディアと割り切る
- ファンとの距離を取る(トップアスリートほど、女性は特に)
- 発信内容は「素直」に
第一歩は、SNSを「友達の延長」として扱わないことだと思う。
もちろん、リアル友達との交流「も」併存して構わないのだけど、
- 「友達の延長として、全世界にも向かう」
- 「全世界に向かいながら、友達とも接する」
それが明確に現れるのが
- 双方向か
- 一方通行か
なお、前半に書いたことと整合性がないように感じられるかもしれないけど、
- 発信: 一方通行に実行
- 効果: 双方向に獲得
世界トップアスリートも一方通行
実際、海外のトップアスリートのSNSは、明確に一方通行タイプでの発信が多いと思う。自分の伝えたいことだけ、見せたいものだけ、出す。ファンの反応には、基本、反応しない。
かわりに、見せ方のクオリティを上げる。
たとえば男子トライアスロンで現在最高の選手フロデノは、明らかにカメラマンを帯同させている。これは、スマホ画面への一瞬の露出でファンを掴む仕組みだ。
こちら、ケガで2018年アイアンマン世界選手権を欠場する報告。この1枚と短い文章で、全てを伝えている。(特にインスタはこういうの向いている)
これでいいのだ。
トップアスリートの本質的役割である、競技パフォーマンスに集中することにもつながるだろう。
もしも、「双方向にしなきゃ」というプレッシャーから動き出せないのなら、まずはその考えから変えてみてはどうだろうか。
目指すもの、目指さないもの
プロカメラマンを帯同させるためにはフロデノ級の経営力あってのことだけど、誰にとっても重要なのは- 方向性を明確にする
- 同時に、力を入れないところ、やらないことを明確にする
「現役アスリートだけど、あえて双方向で」という応用戦術もありうるけど、やや奇策に近いかな。
以上、4つのポイントのうちの123について。ただ浅い手法ではあって、深いのは4つめ、発信内容は「素直」に、ということ。説明が必要なところなので、また改めて。
僕の場合
ついでに、僕自身の経験も少し書いておくと、トライアスロン始めた2010年頃から事実上の実名でブログを書き始め(ランキング等の結果で名前わかるから)、2013年頃からはブログ名まで実名に、Facebookも全て公開設定に変えた。法政で修士論文を書き始めた頃だ。
そこには明確な「目的」があった。
無名な僕が、論文を世に出してゆくという目的だ。
2014年1月に提出した修士論文は、論文の体で出すのに精一杯だったけど、その後もネット発信を続けたことで、
思考と表現が磨かれる ⇔ 読まれる
という相関がスパイラルに進んだ。
![]() |
2018.01 中日新聞さん取材@幸田駅前書店 |
ここで「読まれる」とは、個別の情報や考えがその時に読まれ、判断されて、活用される、という一回的な現象をいう。「今のあなたに価値のある情報か、そうではないか」を都度都度ジャッジしてもらうということ。「ハッタマスユキという人間がマルっと信じられる」という一般的な状態ではない。「いわゆるインフルエンサー」には後者の状態なのも目立つけど、それは情報発信のあるべき姿ではない。
こうして、Facebookが2000人超えたタイミングで、本を出すことができたのだけど、それは2000人いたから本を出した、という「結果」ではなくて、2000人に至る「過程」、そのトレーニング効果に意味がある。
結論
まとめると、「フォロワー数を増やすこと」は目的ではありえず、また何かの手段とも限らず、結果の1つにすぎない。そこに至るまでの副産物にこそ目を向けよう。どんな副産物がありうるかは人それぞれだけど、ここで大事なことは、なんらか方針を決めておくことで、心理的なハードルを下げること。それさえできればなんでもいいんだけど、僕のオススメは:
- SNSを「友達の延長」として扱わない
- かわりに、一方通告のメディアと割り切る
- トップアスリートほど、ファンとの距離を取る(女性は特に)
- 発信内容は「素直」に
2つ前の投稿 "アスリートの情報発信を後押しする「人間関係」について" も併せてどうぞ。(読む気力が残っていましたら、笑)
(こうして世に出た本、楽天ブックスは在庫多め、Amazonは書評サイトです笑)
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