2019/05/03

ネット発信論4. 「成長の過程」を共有する

この投稿では、エリート・アスリートにとって、
  • 「セカンドキャリアに備える」
  • 「ファーストキャリア=競技活動で、退路を断つ覚悟を決める」(=くらいのモチベーションで取り組む)
この2つを両立させるための、「ファンと同じストーリーを共有する」というネット活用法について書く。

僕自身はエリート競技経験はないけど、エイジ部門(=マスターズ)での実体験に共通部はあり、今ちょうど大学の講義でも関わってるので、考えを整理しておきたい。

「一方通行のネット発信論」追記

前提として、全てのアスリートは、ネット発信すると良いと思う。その際に、
  1. SNSを「友達の延長」として扱わない
  2. かわりに、一方通告のメディアと割り切る
  3. ファンとの距離を取る(トップアスリートほど、女性は特に)
  4. 発信内容は「素直」に
くらいのスタンスでいると楽かもよ、と先日
ネット発信論2. SNS発信は "一方通行" でいい 2019/04/21
で書いた。

双方向性がウリのSNSをあえて「一方通行」にするのは、トップレベルほど「余計なメンタル要素」を排除するといいから。
もう1つ、特に大学生〜若手社会人ごろまで、SNSを友達どうしクローズドに使うことが多い実態にも合うと思う。

友達間なら、内輪でウケればいい。でもアスリートのような一芸ある立場からは、その延長で発信しないほうがいい。(慣れるに従い混ぜていくのならもちろん良い進化)
この切り替えができないと、極端なケースでは、アホなバイト炎上投稿のようなことも起きかねない。

だから、一方通行、くらいに捉えて、たとえばフォローバックしなくてもいいし(したければしてもいいし)、コメント返したり、いいね!つける必要もない。(僕は好きだからしてるけど)

この点で、SNSとは「自分株式会社広報部」の業務に近い。20代後半くらいの社会人になれば、このビジネス的価値観にみんな適応できているので、スムーズかと思う。(20代前半だとエリートサラリーマンでもアホなこと平然としでかしたニュースとか見る)
その広報活動に対しての反応がダイレクトに得られる、という程度に、SNSは双方向ではある。

「怖がりすぎて結果しか書かないアカウント」問題

逆方向の問題もあり、リスクを恐れ過ぎて、試合結果だけ淡々と報告してるケースも多いのでは?
今の高校とかの教育では、ネットの公開発信は控える方向で指導されることも多いだろう。犯罪被害も現にあるし、それ自体は問題ないと思うけど(アメリカだと違法薬物の売人がメッセンジャーで親しげに接触してくるそうで)、その流れのまま公式アカウントを開設して、情報を出さない過ぎる。

やらないよりは良いのだけど、読者の範囲が、自分の周りのリアル世界から拡がることはないだろう。仮にオリンピックに出ても、ニュースで名前出た瞬間に一時的にだけ増えて、すぐ忘れられてしまうだろう。

「同じ物語を共有する」という発信手法

では何をかわりに見せるかというと、「過程」を見せればいい。

ちょっと高度な事例になるけど、ちょうど良いツイートを紹介しておこう。

10年ほど前、プロボクサーとして日本王者を目指しながらデュアルキャリアでトレーニングスタジオなども経営していたという山川和風さんだ。
「どん底からの逆転ストーリー」をリアルタイムでブログでつづり、完結スレスレまでファンとともに歩んだストーリーがきっかけでコアファンが増え
と、「ファンと同じストーリーを共有する手段」としてネットを使われていたようだ。
彼は双方向に活用されていたようで、中上級者が使いこなすのならもちろん良いことだ。物語の共有、となると、やはり双方向性はいくらか必要になってくる。これは負担というよりも、将来キャリアに向けた大きな大きな武器になるだろう。

「ハッタリ」

「チャンピオンになるための教科書」というブログを書き、自分にプレッシャーを与えて競技成績を急成長させた経緯がある。(黒歴史なので引退時に削除済w)
というあたり、僕も似たような経験をしていて、肌感覚としてもよくわかる話だ。
(旧ブログ→ http://masujiro.cocolog-nifty.com/ 何度か名称変更してるけど、たしか2011−12年頃からか、アラフォーほぼ最強、を名乗っていた時期ありまして、看板に見合う力を、と良いモチベーションになりました。当時いわゆるハンドル名が「ハッタリくん」、レース結果で名前即わかるので事実上の実名アカウント、今は名前=ブログ名です)

「退路を断つ覚悟」について

山川和風さんはもう1つ、興味深い指摘をされる:
実体験を持つ人同士のやりとりには、迫力あるよね。
タイトルの 「退路を断つ覚悟」とは、ここから考えた話です。

命をかけるくらい強い気持ち → 結果

という因果関係は確かにあるけど、神に祈るのと同じ。
ブラックボックスに賭けるなら、博打でしかない。

でもスポーツとは、選択肢を探り、組み合わせ、勝利確率を上げるものだよね。
そんな発想から、本当に強いアスリートは生まれないと思う。

トップレベルほど「余計なメンタル要素」を排除するといい、と先に書いたけど、それは「余計な要素」についての話。セカンドキャリアを考えることは必要要素だし、やり方しだいでは今のファーストキャリア=競技活動にプラスにすることもできるはず。

その1つが、ネットを使ってファンを育ててゆく、ということだ。

ファンと同じストーリーを共有する

「退路を断って競技している」という気分は、テンションを上げるのだろう。
でも「勝ち上がる過程を見せてファンを増やす」ことによっても、自分のメンタルを操作できる。
その過程で、「学ぶ、学びを活かす、発信する」ことが、相乗的に効いてくる。
たとえば大学生なら、これができれば就活は超強いだろう。

アスリートのネット発信では「競技成績」は最強の武器。
結果を出して、ファンを増やす、そこから新たな物語が始まる。
だから、発信するために、勝たねばならない。
実名で、目標を掲げ、発信することこそ、本当に退路を断つ行為だ。

賭けるなら、こちら側のシナリオに対してだと思う。

トレーニングとは、知的作業だ
『覚醒せよ、わが身体。- トライアスリートのエスノグラフィー』p123
今の日本で、スポーツをハイレベルにできるほど健康な心身を持つのならば、経済的なハングリーさは存在しないといってもいい。一方で、出る杭を打て的な社会的、空気的な同調圧力は高めだと思う。どちらが、より高いモチベーションとなるのか?という話だ。

高すぎるプレッシャーとなるのなら、「一方通行」と割り切って、シンプルに過程を発信していけばいい。そのプレッシャーを力に替えられると思うのなら、自らが成長するストーリーを示し、巻き込んでいけばいい。誰かのアラを探して(啓蒙とか誰かのためにする目的ではなくて)見下しディスる炎上芸など一切要らない。

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